縄文土器3D JOMON3D
第1部 火炎土器の造形と風景
flame-type bowl
第9章 「おや?鮭が居る!?」
salmon?
2001年のHP開設より、18年経て当時書き足りなかったところや、その後新たな視点で考えたところを第9章以降記していきます。
先ず、第1章の2001年東京国立博物館「土器の造形」展にて、「おゃ?鮭が居る!?」と気配を感じた時の不思議な体験をお話しします。 ※1)
「これが火炎土器かぁ・・・」日本史の教科書で興味をもって以来、三十余年経て実物を見た。「火炎土器」を収めたガラスケースの前に立ち、「なるほど、複雑な模様だ・・・」と、そして、吸い寄せられるように模様を目でたどり始めていた。
ひとしきり眺めてから次の展示物へ足を向けたところ、背中に視線を感じた。振り返ってみましたが誰もいない。ガラスケースがあるだけです。「何だったんだろう?」とガラスケースの反対側にも立ってみた。次いで、土器に目を向け、一周り・・・すると「何か?」と、視線が交差したような気がした。
ガラスケース glass-case
このような気配を感じたため、今度はゆっくりと注意深く一周り、二周り、と覗いていると「おゃ? 鮭が居る!?」と視線の源にたどり着いたように思えた。それは、土器の模様の中の目がこちらを見ているという光景でした。
「火炎の中に鮭が居る? まさか!」とおかしな発見をしたような気持ちになってしまった。通常であれば、縄文土器だからいろいろな見方があって当たり前で済ませてしまうところですが、この日は違っていた。
三十年以上も心待ちにしていた土器だったので、模様の中に予想すらしなかった鮭が居て、「鮭」と目が合ってしまったものですから、気持ちは収まらず「この模様は何んだろう?」と、閉館間際にもかかわらず離れられなくなってしまった。結局納得できずに日を改め、特別展に何度か足を運ぶことになるという体験をした。
このホームページではその「鮭の目」とつながる鮭の体や尾びれを探すプロセスと辿り着いたイメージ図までを第一部の第1~4章に載せました。
昔見た教科書の写真は小さなものでしたが、空間を包み込むような造形は印象的でした。縄文人は粘土で「何を」表現しているのだろうかと興味を持ったことを憶えています。教科書は1960年代中頃のもので、「近藤氏蔵、中期、高さ31㎝ 新潟県長岡市出土」と記されています。そこには「火炎」の表記はなく、当時は「火炎」を意識することはなかったと思います。多分、「火炎」と云う呼称は後年様々な出版物より知ることになったのだと思います。
日本史の教科書
textbook for high school student
20190515
追記 note
※1)2001年の「気配」について、第一部まえがき参照。
20190515
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